いたずらに生きる小川さんの曽爾のセカンドライフ

#くらし#すまい#単身移住#古民家#家庭菜園#自営業

──今度、自宅の墨曽爾庵で『大人ボードゲーム教室in曽爾村』やるからおいでよ!

──『葛(かずら)のウツボカズラ』の企画に向けて、ウツボカズラを育ててるんだけど、これは自然の『コバエホイホイ』だよ。曽爾は虫が多いからオススメ!
(※葛は小川さんが住んでいる大字の名前)

クスっと笑えるようなオリジナル企画や、曽爾の暮らしを日々どのように楽しんでいるかを、会うたびに惜しみなく発信してくれる小川尚志さん。

還暦を迎える年に、東京から曽爾村に移住してきた彼の自宅には、全国津々浦々からたくさんの友人が足を運んでおり、村外の人だけでなく、村民さんもよく出入りしている。
小川さんの周りは、いつも楽しそうな雰囲気だ。

「この人がいるといないとでは、曽爾村のおもしろさってきっと変わるよね」
そんな村民の評判も耳にしたこともあるほど、「なんかおもしろそう」の代表格ともいえる小川さんという存在。

周囲の人を巻き込み、楽しませ、笑顔にする魅力に溢れた小川さんとは、一体どういう人なのか。そして、全国津々浦々から友人が遊びに来るほどの方が、なぜ曽爾村に移住をしたのか?

彼のなかにある哲学に触れながら、小川さんが曽爾で過ごす楽しいセカンドライフの様子を、お届けします。

「小川さん」という人

──小川さんの曽爾村での暮らしをお聞きする前に、まずは「小川さんとはどういう人なのか」を知りたいです!

「1964年愛知県生まれの元編集者・自称書家です。愛知県生まれといっても、兵庫県や千葉県など転々とする幼少期を過ごしていたんだけどね。
そんな幼少期だったからか、思い返すと、今も昔も、行った先々の場所を好きになるし、常に『今が最高に楽しい』という自負を持って生きてきたね。その場の置かれた環境で、嫌なこともあるしマイナスなこともあるけれど、その環境を早く好きになって全力で愛して楽しくなる、という人生を歩んできました。
仕事でもそうだよね。異動や転職、色々経験してきたけれど、いつも『今が最高に楽しい』状態で歩んできたように感じるよ。」

──「元編集者・自称書家」ということですが、今までどのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?

「メディアの編集者やデイトレーダー、まちおこし系の団体のお手伝い等、色んなことをしてきたと同時に、『戯光(ギコウ)』という雅号で古代文字の自称書家をしています。」

のちに「郷(ふるさと)」の意味合いを持つようになったとされる「卿」の古代文字を描く小川さん。「盛食用の器(皀)をはさんで二人が対峙する形」だそうだ。

──小川さんと言えば、旅行専門雑誌として有名な『じゃらん』の創刊に携わった方だと噂を聞いたことがあるのですが…。

「そうそう。その話をするには学生時代に少し遡るんだけど、実は当時就職するか大学院に進むか悩んでてね。大学院に進むにしても、どうせなら2~3年くらい社会に揉まれてから大学に戻ろうと思って、当時『リクルート事件』で世間を騒がせたリクルートに入社したんだよね。『こんなに揉まれそうなタイミングの会社はないよね!』って思ってさ(笑)。

入社後に配属されたのが、『じゃらん』の創刊準備室だった、というわけ。担当地域を年中泊まり歩いて広告営業をしていたんだけど、数字の目標達成が重視される営業職よりも、編集職の方が自分には合っていると思って、営業をし終えた後もひたすら色んな地域を練り歩き、面白いスポットの写真を撮りまくり、編集者になれるように社内営業をかけまくる日々を2~3年過ごし…。晴れて『じゃらん』の編集を担当することになりました。」

──あれ、大学院に戻ろうとしていた「社会で揉まれる期間」は…?(笑)

「既にこの時点で、大学に戻るつもりをしていた2~3年の社会修行期間は過ぎていて、当の本人は大学に戻るプランなんて忘れていたよ!(笑)

冒頭でも言ったように、僕は今も昔も、行った先々や置かれた環境が好きになる性分。ある意味おバカなのよ(笑)。人生迷ったら楽しい方を選ぶ。自分が楽しくなるのか否かが最大のポイントで生きてきたので、選んだ道が楽しくないわけはないし、仮に『楽しくないかも…』と思ってしまったら自分の判断が間違った感じになっちゃうので、無理矢理にでも楽しむ生き方をしたいのよね。」

ちなみに、『じゃらん』の編集者になって以降、一貫して雑誌メディア、インターネットサービスの開発・編集畑を歩み、『ISIZE MONEY』『あるじゃん』『ケイコとマナブ』の編集長を歴任したお方。まちづくりに関する取組みも精力的に行っており、『B-1グランプリ』の主催団体にも所属している。

──人生迷ったら好きな方を選ぶ…。選んだあとも、その選択を正解にするための努力を自然にされてきたのですね。

「スティーブジョブズがスタンフォード大学で話したことで有名な『点と線』のお話は知っている?点と点だった知識が、経験を経て線となり繋がり、そこからさらに創造性を持てば、新たなものを生み出すことができる、というお話。
この三論法が非常にいいなと思っているんだけど、ジョブズは、『自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。』って言うの。ジョブズさんは天才肌だからいいけど、普通の人は人生とかカルマって何よ?ってなるよね(笑)。
でも難しく考えず、それってつまり『自分の好き』を信じるってことでしょ?と思うの。
好きなことは楽しいし、好きなことは貫けるよね。自分の中の『好き』って色々あってさ。色んな『好き』をつまみ喰いしているように見えても、実は一本の筋が通っていて…それはいつか自分だけの絵にたどり着くってことなのよ。」

知識の点が経験を経て線となり…最後は猫の絵になるなんて!これぞ創造性!
画像出典元:『Buffer

──小川さんの「好き」は何ですか?

「こんな僕でも、40代でふとテンションが下がった時があったんだけど、その時に今までの自分を真剣に棚卸するセミナーに参加する機会があって、そこで見えた僕の大事な『好き』の軸は、なんと!『イタズラ』でした。イタズラをしている時って一番楽しいんだよね。
『びっくりさせてやろう』『これで楽しませてやろう』とか…。何かを企てて準備している時が一番楽しい。そして、それを仲間たちと一緒に創り上げている時間が楽しい。僕にとっての人生の土台は、『これって楽しい?』『これでイタズラ思いつく?』という『イタズラをしながら生きる』ということなんです。
だから書家としての『戯光』という雅号の中にも『イタズラ』が入っているでしょ。」

──本当だ!小川さんの点と点が、私の中で少しずつ繋がってきました。
小川さんの曽爾村での暮らしぶりを見ていても、イタズラを楽しんでいる様子ですよね。

「まさにそのとおりね。みんながオモシロイと思うこと、びっくりするよねってことを考えながら日々曽爾村で楽しくさせてもらっているよ。」

『葛のウツボカズラ』に向けて、自身で育てているウツボカズラの中をチェックする小川さん。
昼から眠くなるまで(明け方?)まで開催した「大人ボードゲームin曽爾村」の様子。
神奈川の友人が作った流木のオブジェを軒先に置き、訪れたゲストを楽しませている。
これは…鹿を捕まえた狩人の姿?

イタズラ好きが選んだ、鎧岳のある曽爾村暮らし

──「イタズラ」が人生の軸にある小川さん。『じゃらん』の編集を担当されたり、『B-1グランプリ』の主催にも携わっていたり、日本全国を知り尽くしていると思うのですが、なぜ曽爾村に移住したのですか?

「鎧岳(よろいだけ)に一目惚れしたからよ。友人たちにも、『日本の里山セドナ』って説明して、実際に観に来た方が早いからって招いちゃうくらい、鎧岳が大好きだね。
そもそも曽爾村に来たのは、『B-1グランプリ』関係の知り合いが、曽爾村で地域おこし協力隊になってキャンプ場をやるって言うから遊びに来たのがきっかけ。

初めて鎧岳を見たときに衝撃を受けて、『これすげえ、ここに住みたいな』とボソッと呟いたら、キャンプ場に住み込みで働くことを提案してもらったのよ。幅広くやっていた仕事を整理してリモート化し、東京のタワマンもオリンピック前に売り、晴れてキャンプ場の管理人のオヤジとして二拠点生活を開始したんです。」

──もともと田舎暮らしへの憧れを抱いていたんですか?

「小さい頃から地域を転々としていたから、自分に『故郷』と呼べる場所が無くて憧れていたということもあるけれど、本格的に田舎暮らしを考えるようになったのは、東日本大震災の経験があってからだね。
当時は会社を辞めて書家&デイトレーダーとして生計を立てていたんだけど、大地震があったあの日、デイトレーダーとしての全てがつまっているパソコンがデスクから落ちたのに見向きもせず、真っ先に家族のもとへ向かったんだよ。本当のデイトレーダーだったら、家族の心配より先にパソコンを意地でも立ち上げて売りに走るんだけどね。『あ、俺はデイトレーダーやるには覚悟が足りないんだ』と実感し、すぐに辞めたよ。
それと、福島や宮城のまちおこしの仲間たちが大変な目に遭っているのもたくさん見たので、『関東で次に大災害があった時のために、家族の逃げ場を作っておかなきゃ』と思い、どこが良いかな~って考えていたんだよね。そんな時に鎧岳に出会ったんです。」

──「家族のための避難所」という動機は斬新ですね。

「25歳と21歳になる娘がいるんだけど、仮に災害で大変な目に遭ったり、仕事や色々なことで心が苦しくなったとき、『田舎でお父さんはこんな暮らしをしているんだから、私は大丈夫だ』って、身体も心も安心できるような、そんな居場所を作りたかったんだよね。」

──今まさに、そのお家を日々改修しながら暮らしているご様子ですが、「家族のための避難所」たるこのお家は、すぐに見つかったのでしょうか?

「3年間家が全く見つからなかったんだよ…。当時の理想は、鎧岳が見える家に住んで、鎧岳が見えるところに窓を作り、セザンヌの『サント=ヴィクトワール山』の連作みたいに1日1枚鎧岳の写真を撮ろうって思っていたんだけど、条件に合う家が全然出てこなくてね。

もうダメかもしれないって諦めかけていた時に、『鎧岳は見えないけどいい家があるよ』って教えてもらったのが今の家。『鎧岳が見える』という条件を変えた瞬間に家が決まりました。ちなみに、家から鎧岳は本当に全く見えないのだけど、鎧岳の麓にあるので、鎧岳に抱かれている鎧岳の番人だ!って前向きに切り替えたよ(笑)。」

番人らしいポーズの小川さんと、妖精のように手を振る小川さん。
2枚目の写真内で左上にポコッと見えているのが鎧岳の一部。

──お得意の「置かれた環境を全力で愛する」ですね。
二拠点生活を経てから実際に移住を実現されて、暮らし面で何か変わったことはありますか?

「実は初めての1人暮らしなのよ。365日24時間休みなしの家事って、こんなに大変なんだ~って。こんな田舎だと尚更やることも多いしね。

ただ、面白いんだよね。まず一番分かりやすいのは、天気が良い日のテンションの上がりよう。あたり一面の美しい景色を見ながら気持ち良い環境下でお洗濯物がたくさん干せるのは気持ち良いね。畑しごとも捗るしね。あとは…冷蔵庫見て、中途半端にある色んな残り物・頂き物を全部かき集めて思いつきで作った料理が美味しかった時の達成感とかね(笑)。」

──発見だらけの日々なんですね。

「そうだね。日々の生活のなかで工夫の余地がいっぱいあるところが楽しいよ。『洗濯ってこうやると効率が良いんだ』とか『地上にできる大根の実って食えるんだ!』とか、知らない世界がそこら中に広がっているから、発見と工夫の連続の日々。でもこれって、必ずしも『曽爾だから』ってことではないと思うんだよね。
ちなみに、「大根の実」とは大根の花茎が春にとう立ちし、菜の花が咲いたあとになる実のこと。「さやだいこん」ともいう。

仕事で色んな地域を見てきたなかでも曽爾村に移住したのは、今までの経験から生まれた人との繋がりや、点と点が結び合った偶然に過ぎなくて。こういう田舎での一人暮らしの楽しさも『曽爾だから』って特別な訳では決してないんだよね。」

──そんな中でも、「曽爾だから」こそ感じることは何かありますか?

「やっぱり景色でしょう。ただ村内を車移動しているだけなんだけど、何てことないいつも通りの風景なんだけど、空の抜け感とか、頬に当たる風とか、山陵に落ちる雲の影が流れていく様子とか、鎧岳にかかる夕日の色とか…。そういう曽爾の景色を見ただけでニヤニヤしちゃうよね。『なんか、すげえ幸せなんだけど!』って一人でニヤニヤしながら運転してる。はたから見たら気持ちの悪いおじさんだよ(笑)。」

取材中、外に出て気持ちの良い西日を浴び始める小川さん。
まるで「幸せを感じるためのレーダー」が常に動いているみたいだ。

──3年間の二拠点生活のアドバンテージもあったかと思いますが、小川さんは移住して間もないですが、とても地域と馴染んでいますよね。

「僕の座右の銘に、『地を離れて人なく、人を離れて事なし、故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ』という吉田松陰の言葉があるんだけど、これは『土地を離れて人々の生活は成り立たない、また、人を離れて物事が行われることもない。だから、まずその地域の自然の状態を念入りに見なければならない。』という意味なんだよね。この言葉が好きだからこそ、地域に馴染んでしっかりと入り込んでいくためにも、移住半年で『村入り』をしました。」
✦村入り(むらいり):正式にその集落の一員になること。村入りすることで役が与えられ自治会の一員となる。数年かけて村入りするケースが多く、村入りするか否かは総代さんと相談できる。

──移住半年で村入りされたのは割と早い事例ですね。

「本当は移住後すぐにでも『村入り』したかったんだよ!でも、移住してからしばらくの間、地域の方々から『別荘に住む書家の人』と誤認識されていたようなんだよね(笑)
別荘ではなくちゃんと住んでいるし、村入りもしたいって近所の方へ春先に相談したら、『総代さんや集落の人が集まる冬の食事会・お祭りで正式に小川さんを紹介するから待ってて』と言われ、そこから半年経ってようやく、冬になって村入りできたの。」

──移住半年で村入りができたのも、キャンプ場に住み込みで働いていた2~3年の期間があったからこそ、地域の人から『この人は地域に慣れる助走期間が終わっている人』っていう風に見てもらえたのかもしれないですね。
ちなみに、近所の方が「別荘の人」と誤解された要因は何だったのでしょうか?

「半年に一回くらいの頻度で東京に戻っているんだけど、その一回が長期の滞在になることが多いから、結構な頻度で東京に帰っているイメージがついていたのかもしれないね。あとは、『誰が奥さんか』って僕を巻き込んで近所の人同士で議論が起こるくらい色んな人を曽爾に招いて家を出入りしているから、余計にそう思われたのかもしれない…(笑)」

──たしかに。小川さんのお家は常にゲストで賑わっている印象です。

「僕の『いたずらな曽爾暮らし』の途中経過を皆に見てほしいからね(笑)
あとは、『じゃらん』とか、『B-1グランプリ』とか、日本中を飛び周り日本中の美味しいものを知っている小川が『なぜそこ?』って皆が思うらしいのよ。『曽爾』って読めないしどこそこ?って。あの小川が終の棲家に古民家を買った村ってどんなとこ?って。
そうなると、曽爾でこんな暮らしをしているんだよって、SNSに思わせぶりな投稿をしてみたり、僕のイタズラ魂に火がついて、色んな人を招待して曽爾を楽しませてあげたくなっちゃうのよ。」

──ゲストがいらしている際、ご近所の方々の反応は?

「ありがたいことに、子連れの来客があった時に、近所の方が『小川さ~ん。里芋いる?大根いる?』って、採れたての野菜を差し入れてくれることがあるんだけど、子供がとても美味しそうに食べるんだよね。近所の方との何気ない交流や、その場で食べた野菜が新鮮で美味しいとか、こういう何気ない瞬間に田舎暮らしの価値があるなって思うね。」

──逆に、気を付けなければならないな~と感じたことは?

「敢えて言うならば、必ずどこかで見られているから油断できないという点かな。『このあいだ一緒に車に乗っていた人誰?』とか、『この前あそこで何してたん?』とか…。とにかく油断できない!(笑)悪いことなんてしないけど『どこかで誰かが見ている』という田舎ならではの微妙な緊張感があるかもね。分かりやすく言うと、渋谷のスクランブル交差点。あそこは横断歩道を渡る人が1回に千人以上って言われているんだけど、曽爾村の人口が1,300人弱なので、スクランブル交差点ですれ違う人ほぼ全員が顔見知り、知り合い、親戚という感覚かな(笑)
そういった緊張感はあるけれど、でも移住者に対して曽爾の人って基本的には寛大だよね。良いも悪いも受け入れようとする姿勢が、ある程度ベースにある感じがします。」

正式に「村入り」させてもらった後、年に1度の食事会に誘ってもらった様子。
「誰が小川さんの奥さんか」と村民さんが協議中らしい(笑)
小川さんのお家「墨曽爾庵」に集まる友人たち。
改修工事用の資材がそこかしこに散らばるなか、友人たちが夜な夜な談笑する光景を窓の外から見て、「このあったかい空間を形にしたくて、曽爾村に来たんだ」と実感したそう。

これからの小川さんのイタズラ

──自分自身だけでなく、ここに来る友人や、村民さんたちも巻き込みながら、常に誰かと楽しい時間を共有する小川さんの曽爾暮らしがよく分かりました。
さて、これからはどんなことを企てているのでしょうか?

「曽爾に来て思いついた『食べちゃう農園&レストラン』を画策中です。」

──『食べちゃう農園&レストラン』?

「屏風岩・兜岳・鎧岳などの曽爾の主要な山々や青蓮寺川が一望できる耕作放棄地で野菜を育て、『わ~これ前から使ってみたかったのよ!』と思えるような最新の調理器具や調味料が揃うキッチンを畑に併設するの。畑では作物を自由に収穫できて、勝手に料理しながら1日中楽しんでもらえるって企画。」

──聞いただけでも夢がある!畑ではどんな物を育てるんですか?

「それは来た時のお楽しみ。畑を耕さず、農薬や肥料も一切使わず、多種多様な植物をごちゃ混ぜにして作物を育てる『協生農法』という、いわゆる『ほったらかし農法』に名張で出会ってね。その農法を実践したジャングルみたいな畑がキッチン横に広がってるの。1日中、畑を物色して野菜を採っては料理して食べ、採っては料理して食べ…コーヒー淹れて景色を見ながらだらけて…の繰り返し!」

──小川さんはそこでどんな役割なんですか?

「僕はアテンドするだけで特に何もしなくて良い設定(笑)。基本は放ったらかしスタイルなんだけど、きっと一緒に楽しんじゃうだろうね。」

──小川さんは自宅下の畑でも家庭菜園をされていますよね。それも「ほったらかし農法」で実践しているのでしょうか?

「そうそう。この農法がしっかりと機能するまでに6年くらい時間がかかるらしく、まずは自分の家の畑で実践しています。10数種類の種をカクテルみたいにシャカシャカ混ぜて、『バサ~!』って一気に蒔くの。芽が出たときには『これは水菜?これはたぶんヘビイチゴ?…これは何かの豆だなぁ』って、素人だから何が何だか分からないんだけどね。適当に種を蒔いたなかでも、土に合っている種が芽吹く仕組みなのよ。多種多様の植物が、一番自分の居心地の良い所で育つ、いわば畑のダイバーシティだね。」

──雑草も刈らず、本当に人の手を加えていない畑なんですね。

「本人もどこに何があるか分からない宝探し状態です。野菜も雑草も自然ののままに育っていて、虫や鳥や獣もこの畑の環境を創るスタッフなの。だから、みんな含めてできあがった環境そのものが収穫物なんだよね。この畑は出会いと学びの『ヴィレッジヴァンガード』なんです。あ、ヴィレヴァンが分からない方は、“知的な『ドン・キホーテ』”をイメージしてね(笑)。」

──この宝探しを楽しむ企画が、『食べちゃう農園&レストラン』になるんですね。

「そうです。近所の方からいただく採れたて野菜も、畑で収穫してその場で食べる野菜も、小さい子供らが本当に美味しそうに食べてくれるんだよね。お母さんお父さんからすると、それだけで嬉しいことだよね。『食べちゃう農園&レストラン』の畑のなかでも、色んな発見をして得難い経験をしてもらえると良いな~、と思っています。
もちろん僕はアテンドするだけで、あとは放ったらかしね。とは言いつつも、きっとお客さんに張り付いてイタズラしたり、子供に虫の名前を教えたりするのだろうけど…(笑)。これもイタズラ好きの性分なんだろうね。」

──自身が仕掛けたほったらかしの畑で、誰かに楽しんでもらいたい…。根っからの、イタズラ好きですね。

小川さんからのメッセージ

──最後に、曽爾村移住を志すみなさんへメッセージをお願いします。

「僕は大丈夫だけど、本当に寒いよ?あと、虫がいっぱいいるよ?(笑)
本当に住むことを考えたら、その二点を大らかに受け止められる人じゃないと、ちょっとしんどいかもね。」

──今まで深いことをたくさん言ってくださいましたが、最後に寒さと虫とは!(笑)

「ははは(笑)でもね、寒かったり、虫がたくさんいたり、色々なこともあるけれど…本当に楽しいと思えるんだったら、そんなことは乗り越えられるから。逆に言うと、楽しくなければ乗り越えられないよってことだよね
自分のなかの『楽しい』『好き』を大事にしてね。僕は楽しいよ。楽しすぎていつもニヤニヤしちゃう日々なんだから。」

 


小川さんとは、どこまでいっても、自分の中にある「楽しい」「好き」を信じて生きるお方でした。
そして、その楽しい瞬間を、惜しみなく周囲の人と共有することを生き甲斐とする姿勢は、幸せをお裾分けして皆を笑顔にするため曽爾中を駆け巡る、いたずらな少年のよう。

皆さんも、曽爾にいらした際は、小川さんの少年のようなイタズラ魂に触れてみては?
きっと、今までよりもっと、曽爾村が魅力的に見えるはず。

おしまい

曽爾村用語辞典

✦村入り(むらいり)
正式にその集落の一員になること。数年かけて村入りするケースが多く、村入りするか否かは総代さんと相談できる。

(2024年11月取材)