「いらっしゃい。これ、いただきものの『ぺポカボチャ』を使って、胡麻と葛粉で作った自家製胡麻豆腐。良かったら食べてね。」
取材のため、上田悟さん・杏奈さん夫婦の自宅を訪れ、居間へ上がり席に着くと、すっと出されたおもてなしの一品。
杏奈さんが作る、夫婦で育てた野菜を使用した自家製おやつだ。
人工的な甘さがなく、カボチャが持つ微かな甘みと胡麻の香ばしさのみが感じられる、身体が喜ぶ自然体のおやつ「ペポカボチャの胡麻豆腐」。
移住後の二人の曽爾暮らしについて取材をしていると、曽爾の風土や人々との関わりに自然体に身をゆだね馴染んでいる様子で、この『ペポカボチャの胡麻豆腐』の味も、この二人だからこそ生み出せる優しい味なんだなぁと身に沁みました。
上田夫婦が紡ぐ、曽爾での自然体な暮らしについて、地域の風土と人付き合い、移住後の時間の使い方、移住とお金のこと…。色々なことを取材しました。移住前の参考に、是非ご覧ください。
──曽爾村に来る前はどちらにお住まいだったのでしょうか?
悟さん「二人とも大阪出身で、職場も大阪で同じ金融機関に勤めていました。」
──移住を志したきっかけは?
杏奈さん「私は金融機関の仕事を辞めて、アロマ・リンパドレナージュ・ハーバルセラピストを融合させた自宅サロンを開業したんです。サロンの勉強をするなかで、素材の大切さを実感する日々を過ごしていて…。水もわざわざ大阪から綺麗なところに汲みに行ったりしていたくらい!そんななか、コロナ禍をきっかけに自然とともにある田舎暮らしを本格的に志すようになりました。」
悟さん「移住したのは2020年。僕自身に理想の田舎暮らし像があったわけでもなく、100%妻の理想像に寄り添って移住先を探していました。」
杏奈さん「当時はマンション暮らしで土に触れない生活をしていたので、土に触れることができ、水が美味しい移住先を理想に描いていました。あとは安全で安心なものを食べたくて、畑をすることも絶対条件。自給自足とまではいかなくても、衣食住のことで自分の手でできることは自分たちでなるべくしたいって思っていましたね。」
──どうして曽爾村に?
悟さん「家族や友人が大阪にいるので、大阪からも通いやすい近畿圏内の地域を色々探していくなかで、空き家の内覧で初めて曽爾に来たんです。その時、畑付きの物件や綺麗な水、地域性に魅力を感じて、ほぼその場で曽爾村への移住を決断しました。」
──お二人は最初、村内の別の大字に住まれていて、今は「太良路」に引っ越されましたよね。それぞれの大字の違いを感じることはありますか?✦大字(たいじ):集落のこと。曽爾村には9つの大字がある。
悟さん「以前の大字にある賃貸住宅から引っ越し、太良路の今のお家を購入してからちょうど1年。同じ曽爾村でも、大字や住居の場所によって、ご近所付き合いのあり方が変わるんだなぁと実感する日々です。」
杏奈さん「主に畑作業をしているときに違いを感じるかも。前のお家の時は、家の敷地内に畑があって、そこで家庭菜園をしていたので、誰かと会ったりお話しする機会が畑に出ていてもあまり無かったんです。今は家から少し離れたところの畑を借りているから、畑へ作業しに行く道中で地域の方と会って挨拶したり、使わせてもらっている畑の両サイドも別の方の畑だから、お互い『何作ってるの~』って会話ができるんです。」
悟さん「毎朝6時~7時くらいに夫婦で畑作業をしているのですが、その姿を近所の人が見てくれているらしいんですよね。『上田さんとこ、毎朝畑いっとるで』と、近所の方が話していると人づてに聞いたこともあります。畑をする環境が変わるだけで、こんなにも地域の方と接したり、認識してもらえる機会が増えるんだなぁ、と。また、皆さんが好意的に思ってくれているのも嬉しいです。」
杏奈さん「村入りしたのも大きいよね。以前は賃貸だったので、地域住民さんからすると、『いつ出ていくか分からない』という印象を抱かれていたのかもしれません今は家も購入し、村入りすることで、こちらが変わるというより、地元の方々からの見られ方が変わったような印象を受けます。皆さんがグッと親近感を寄せてくれる感じ。」✦村入り(むらいり):正式にその集落の一員になること。数年かけて村入りするケースが多く、村入りするか否かは総代さんと相談できる。
そんな話題の最中、タイミングを見計らっていたかのように「こんにちは~」と玄関先で声が響きました。
上田夫婦のお家のすぐ真下に住んでいる、同じ組の「岡田さん」が、溢れんばかりの自家栽培野菜を抱えてふらりとやってきたのです。✦組(くみ):大字の中にはいくつかの地区に分かれた「組」がある。
岡田さんは上田夫婦のお家に来て、こうして野菜をおすそ分けしてくれたり、困ったことがないか頻繁に様子を見に来てくれるそう。
──唐突にいらっしゃるんですね!(笑)
杏奈さん「家族のごとく基本いきなりだよね(笑)。この辺の人たちは皆団結して家族意識があると思うんです。そもそも親戚や遠い親戚同士が多いのもあるけれど、血が繋がっている、繋がっていない云々抜きに、みんな「ねえやん」と呼び合っているんです。小さいときから親しいし、家族みたいな存在なんでしょうね。そんななか、岡田さんは『お祭り一緒に行こう』と言ってくれて、皆に私たちを紹介してくれた方でもあるんです。」
悟さん「もしかしたら、ずっと曽爾に暮らしている地域の方々からすると、移住者は『他人』という感覚があるのかも。前に賃貸で住んでいたときの総代さんからは、ある意味気を遣ってくださったのか、『賃貸やし、わざわざ村入りしやんでもいいで~』と言われていたんです。でも、太良路に来て家を買って村入りすることで、地域の方々からこうしてコミュニケーションを取りに来てくださったり、色んな人に僕たち夫婦を紹介してくれたり…。移住者という『他人』から、地域の『家族』の皆さんに受け入れてもらっているのかなって感じます。」✦総代(そうだい):集落の自治会長。二年毎に代わる。
──「村入り」って、具体的にはどんなことなんでしょうか?
悟さん「村入りをすることで、お祭りなどの行事や自治会にも『役』として参加することができます。曽爾村の一大行事である『曽爾の獅子舞』が奉納される門僕神社の秋祭りはもちろん、大字毎にも色んなお祭りが行われていますから、行事が盛んな大字は役がたくさん回ってきますし、その分、住民同士・大字全体での団結意識も強い印象ですね。」
杏奈さん「門僕神社の秋祭りのときは、曽爾村の各大字の『当屋(とうや)』という役が、献餞(けんせん)の「頭甲餅(すこもち)」を用意したりするのですが、太良路はお年寄りの方が多く、世帯数も移住者も少なくて、その分様々な役が回ってくる頻度は高いです。そのおかげで、地域の文化や風土を身近に感じながら暮らせるようになったかな。」
──移住して4年。大阪時代を思い返して変わったことは?
杏奈さん「時間の使い方が圧倒的に変わりました。大阪時代は家事もすぐに終わって『暇や』となったらカフェに行ったりしていたけど、今は確実にやることが増えたし何より台所にいる時間が増えましたね。午前中いっぱいは台所に立っているなんて当たり前。ほら、岡田さんからいただいたこの野菜の量見て!これだけどっさりいただいたら、洗うだけでも30分かかるのよ(笑)」
悟さん「都会で暮らしていたら、まずは高い家賃や生活費など、生きるためのお金を稼がなきゃならなくて、そのために通勤時間も費やして、まさに仕事中心の1日になると思うんです。ご飯も既存のものでレンチンしたり、どうしても効率を求めがちになってしまうんですよね。こだわって安心なものを使って自炊するにしても、仕事からクタクタになって帰ってきても時間と体力も限られているし…。こだわりの暮らしを実践しようと思ってもなかなかできない環境だと思うんです。」杏奈さん「私からすると、村内で仕事している夫の通勤時間がぐんと短くなったから、夫婦一緒に過ごせる時間が増えてめちゃくちゃ嬉しいんです。朝も一緒に畑作業してゆっくり朝ごはんを食べられるし、昼ご飯も食べに帰ってきてくれるし、夜も帰ってくるのが早いから。夫婦でお互いに1日の時間の過ごし方が変わりましたね。」──杏奈さんはどんな1日を過ごされているのでしょうか?「今は、畑作業で1日が始まり、台所に立ち、編み物で身のまわりの必要なものを作る日々です。」
杏奈さん「基本的に予定を入れすぎると、予期せぬ来客や差し入れも多いので、自由に動けるようにしているかも。車も運転できないので、畑や家にいることが多いのですが、全く飽きないんです。日々刺激がある訳でもないのですが、衣食住のことで自分でできることはなるべくしたいので、編み物や裁縫で新しい服や小物を作っている時間が刺激になっているのかな。編み物も移住してから始めたんですよ。今では色んな物が作れるようになりました。
畑で土に触れ、安全で安心な食事をし、必要なものは自分で作る…。まさに大阪の時に描いていた憧れの暮らしを実現できているなぁと実感します。」
悟さん「大阪時代の妻と今を見比べても全然違いますね。大阪に住んでいた時はストレスで体調を崩すこともあったけど、曽爾に移住してからは生き生きしているし、体力がついたかな。内面も外面も変わったように思います。」──悟さんはどんな1日を過ごすようになりましたか?悟さん「移住した当初は、借りた家が10年くらい空き家だったので、何ヶ月間か仕事をせずに家に居ることにして、片付けや畑の清掃や畝作りを日々していました。」杏奈さん「でも、『もうあかん!俺働くわ!』ってなってんな(笑)」悟さん「そうそう。大阪時代も仕事は好きだったから、そろそろ働きたいって思ったんだけど、村外まで通勤時間をかけて働きに出ることは考えられず、せっかくなら村内で地域の方と繋がれる仕事をしようって。『お亀の湯』で働いていた時期もあるし、今は山粕にオープンしたウイスキーの蒸留所『神息酒造』で、事務作業や企画業務などを手伝っています。」──村内で働くメリットは何ですか?「地域の色んな人と知り合えて、その繋がりから何か新しいものが生まれたりすることかな。あとは、自宅から職場までの距離が近いので、通勤に時間を割いていた大阪時代と比較しても、1日の使える時間が大きく変わりました。畑作業もできるし、早く帰って夫婦で一緒に新鮮な野菜を使ったご飯も食べられるし、心が豊かになったように感じます。」
──移住してから数か月後に仕事に就いたんですね。金銭面の不安はなかったですか?悟さん「気持ち的な余裕を持つ意味でも、突然の出費に対応するためにも、多少の貯蓄はありました。まず家の観点だと、住む前には『改修補助金』などの村の制度をいくつか使用できますが、住みだしてから手入れしなければならない点も実はたくさん出てくるんです。一番困ったのはトイレ。住む前は気が付かなかったけれど、住んでみたら実は配管がダメになっていて流れなかったということもあります。また、実際に住んでいると『もっとこうしたい』という点もたくさん出てくるので、そういったことに対応していくためにも、ある程度のお金はあるに越したことは無いと思います。」杏奈さん「確かに住まい関係にはお金がかかるけど、大阪時代と比べても日常的な支出は3分の1に減りました。まず野菜を買わない、服を買わない、外食にもいかない。お金の使いどころが変わったなという感じです。」──自給自足に近いのでしょうか?悟さん「100%の自給自足はまず無理ですね。なんだかんだ、水道・光熱費・浄化槽・ガソリン代等でお金はかかりますからね。ただ、野菜などの食べ物は自分で作ったり、近所の人からいただけたりしますし、畑の道具を譲り受けてもらえたりすることもあります。そういった意味では、自給自足できること、できないことはしっかり区別したうえで、必要最低限のお金の準備は必要だと思います。」杏奈さん「水道代に関しては、私たちが住んでいる太良路は、生活用水は簡易水道ではなく山水を使用しているので、維持管理のための水利組合の共同会費があるのも他の大字と違う点ですね。お風呂も肌当たりがなめらかになったように感じるし、味もすごく美味しいんですよ。」──曽爾村は食べ物と水が豊かですよね。悟さん「そうですね。家賃や生活費が払える必要最低限の収入源さえ確保できるのであれば、野菜やお米は曽爾村中で育てられているし、食べる物には困らないんじゃないかな…(笑)地域の方としっかりコミュニケーションを取って暮らしていれば、最悪なにか困ったときに誰かが助けてくれる村だと思います。」
──まさに、理想的な田舎暮らしを体現されているお二人だなぁと感じますが、移住を考えている人へのメッセージはありますか?悟さん「メディアでは田舎暮らしの良い所ばかりを出しがち。地域のリアルな情報も、何度も曽爾へ足を運んでしっかりキャッチして欲しいですね。けど、調べすぎるのも考え物。移住には勇気とある程度の思いきりが必要。最後は『えいやぁ!』と飛び込んでみたら意外となんとかなりますよ。」杏奈さん「いきなりガラッと生活を変えるのは無理かもしれないけど、ちょっとずつ変えて理想に近づけていくことができる村です。住むところさえあれば、近所付き合いやコミュニティの中で田舎暮らしの醍醐味を日々感じてもらうことができるはずです。移住したら地域の方と横の繋がりをたくさん作ってくださいね。」
悟さんの柔らかく優しい雰囲気。杏奈さんの常に明るく笑顔なキャラクター。
飾り気のない二人の自然体な姿は、人々が紡いできた曽爾の風土に馴染んでおり、心から曽爾の暮らしを愉しんでいるようでした。
おしまい
✦大字(たいじ)集落のこと。曽爾村には9つの大字がある。
✦村入り(むらいり)正式にその集落の一員になること。数年かけて村入りするケースが多く、村入りするか否かは総代さんと相談できる。
✦組(くみ)大字の中にはいくつかの地区に分かれた「組」がある。「小場」ということもある。
✦総代(そうだい)集落の自治会長。二年毎に代わる。
(2024年11月取材)